ドラムとの出会い

ドラムとの一番最初の出会いは、
小学校の低学年ぐらいだ。

そのころエレクトーンを習うために、
音楽教室に通っていた。

音楽スクールは年に数回大きな コンサートを開催していた。
同じ年頃のこどもたちを 15人前後集めて格パートに振り分ける。

コンサートに向けて定期的に練習を行い
曲の完成度を上げていき本番を迎えるという流れ。

演奏する曲は「ミッキーマウス」などの
お決まりの人気曲だった。

グループはエレクトーンと呼ばれる
電子鍵盤を習っているこどもが多いので
同じ楽器の中で音域や動きの違うように役割分担する。

でも大きく異なる楽器がひとつ存在した。
ドラム打楽器である。

好奇心旺盛な僕は、
一度も触れたことがないドラムセットを見て
「やってみたい」と先生に言ったらしい。

でも当時の僕の身長では、
足がバスドラに届かなかった。

手のリーチもシンバルなどに届く限界だったため
その想いと挑戦は断念された。

SHINYAドラム練習風景
魔王ドラム

高校文化際に関する物語

ドラムと再開するのは、
高校2年のとき。

高校は音楽教室に隣接して、
ミニスタジオがあった。

そこにドラムセットは置かれていた。

文化際が9月にあって、
出場資格を得るためにオーデションがあった。

7月の試験終了後
オーデションの審査は毎年あった。

音楽に興味が強かったので、
高校2年のときにサッカー部の友達や
知り合いを誘ってバンドを組んだ。

その時に「ドラム」を叩くということを
初めて体験した。

ドラムの各パートの器材の名称や、
どう叩くかという方法まで、
何もかも分からなかった。

バンドが好きでスタジオ練習の風景を見に来る
同学年の友達がいろいろ教えてくれた。

好きなことをすると勝手に興味をもっている人間が
集まるもんだなーと感じた。

何かに熱意を持って取り組むと
人はタダであれこれ教えてくれることを知った。

けれど、ギターのメンバーが集まらず
そのバンドはひと月あまりで解散した。

ギターやベースはエフェクターがいるし、
持ち運びが面倒なのが欠点だった。

お金があまりなく、サッカーに集中している
メンバー中心のバンドとっては不利な条件だった。

その後、別のバンドに誘われて
メンバーになった。

文化際に出たいという気持ちもあったので、
バンドの一員になった理由のひとつ。

エレクトーンをしていた経験から
「キーボード」になった。

オーデションには合格して
高校2年の9月の文化際で初めてバンドでステージに立つ経験をした。

その当時、小さいTシャツが流行で
演奏のときにそういう服を着てステージに立った。

メンバー紹介でなぜか「オシャレ×数回」というコールが
なって少しだけ盛り上がった。

そこから「オシャレな高尾さん」というネーミングが
一部の人たちで流行った。

今ではその経緯を知る人や
そう呼ぶ人は世界中を見渡しても
ほんの一握りである。

であるが、
僕はそのニックネームらしい肩書きを時々使うようにしている。

(ドラムとの出会い)第2位部おわり。。

第3部(軽音楽部で数ヶ月だけドラム)

ドラムとの再開は大学の1回のときである。

バンドは高校のとき縁がなくて出来なかったので、
大学に入ったら活動しようと決めていた。

仲間を集めるより、
軽音楽部に所属したほうが早いと思いすぐに入部した。

ドラムをやってみたいという気持ちが強かったので、
ドラムを希望した。

その時もドラムに関する知識と経験は
まだまだ乏しかった。

最初に叩いた時は、
スネアタムのハリ具合を調整することも知らなかった。

タムの位置(向き)や
ハイハットの開閉、各シンバルの位置や高さなどの
合わせ方を教えてもらった。

その時に、自分の演奏しやすいように
「配置をあわせる」という考え方を学んだ。

一回生バンドは、メンバーの技術や、
まとまりが不安定なまま4月・5月と進んでいった。

限られたスタジオ枠での練習や
授業との兼ね合い、バイト、
学校まで遠いメンバー・・・。

いろんな条件がある中で
練習をあわせる時間がほとんどなかった。

その時別のバンドでベースを
弾くようになっていた。

正直どの楽器が面白いか?自分に向いているのか?
という模索時期でもあった。

軽音楽部の夏の合宿入る前に
ベースを担当することに決定した。

重低音ならではの独特な響きと
単音であることが理由だった。

ドラムは数ヶ月だけ、
とぎれとぎれで叩いたというわずかな記憶しかない。

でも少しでも触れたという経験が、
非常に大切だと振り返って感じることができる。

めぐるベース演奏
おしゃれTさんドラム

高尾真也プロフィール

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