僕が「水泳」に関する記憶があるのは、
スイミングスクールに通い始めたときです。


自分で習いたいと親に言ったのか、
親が習い事として通わせたかは分かりません。


年齢でいうと、4際か5歳ぐらいで
幼稚園かそれより少し前の頃です。


水泳教室はなぜか、最寄り駅から
一駅離れている場所にありました。


到着した駅からは、
徒歩で10分ぐらいの距離にありました。


5歳前後であると、
一応一人で覚えた場所くらいは移動できます。


手続きとか、よほどの事情が無い限りは
一人で電車に乗り、
スイミングスクールまで通っていました。


電車に乗るのってけっこう面倒なんですよね・・・
物理的にも、心理的にも少しだけ壁がある。


けれど気分が乗らなくても
ほとんど休まず教室に通っていました。


スイミングそのものが嫌いでは
なかったのですね。


たしか水泳に行くときは、
お小遣いを少しだけ親からもらっていました。


練習が終わった後に、
カップに入った炭酸ジュースを
頑張った褒美として飲んでいたのを覚えています。


また帰りのスーパーで安いお菓子を2、3こ
買うことを楽しんでいました。


練習内容は、ほとんど記憶にありませんが、
ひとつだけ強烈な記憶があります。


その記憶というのは、「平泳ぎ」で
足の形を注意されたことです。


平泳ぎがあまり得意でなく、
脚のかたちを教えてもらっていました。


教えてもらうといっても、
その時はこどもに対して厳しい先生が多く、
けっこう雑にフォームを矯正させられていました。


で・・・先生が「今は何の泳ぎをしているんだ?」ときかれたので


僕は「カエル泳ぎ」と答えました。



すると先生は、きつい言い方で
「何を言っているんだ?」と
いい返してきたのです。


その時僕は、答え方ひとつで
すごく怒る人もいるんだな・・と感じました。


肝心の水泳ですが、
小さい頃から始めたおかげか、
そこまで苦労せずに種目を習得していきました。


形を習得する運動は得意だったので、
理論でなく経験と感覚でスイミングの技術を身につけていったのでしょう。


約2年か3年ほど水泳教室に通って、
選手コースまで進級しました。


けれど選手コースは、
スピードと体力が求められて
ひたすら泳ぐマシーンみたいな練習だったので
一ヶ月か2ヶ月でやめました。


体力はなくスピードに関しても、
そこまで早くなかったのです。


振り返ってみると、
抵抗無く泳ぎを覚えていったことが
今でも泳ぐことが好きである理由と思います。


だからこどもに何かを教えるときは、
けして嫌いになるような叱り方はしないほうがいいと客観視できます。


こどもの心は情熱的であり、
は繊細で折れやすい側面もありますので。


大人になっても「水泳」をやってみようと思えるのは、
ある程度得意であるという自信や経験から生まれてきます。


もし水泳がすごい苦手で、嫌な思い出ばかりであったら、
いくら健康のためとはいえ泳ぐ気にならないでしょう。


だからこどもの時期や比較的若い年齢のときに、
得意な分野を見つけて能力を開拓させておいたほうが
のちのちに有利になると思います。

それは運動だけでなく、
頭脳的な遊びでもいいし、
音楽、美術、立体感覚、文章、視覚的要素・・・
など人間の持つ能力が発揮されるものであれば何でもかまいません。


僕の場合は、運動にだいぶ偏っていますが、
結局は、体験をいかに多くして体得して身につけたか?
ということが大切になります。


話が水泳から思わぬ方向に動きましたが、
幼少期は吸収力が非常に高い年齢です。


頭(理論)で考えるのではなく、
体験と感覚の積み重ねによって
自分の能力を向上させて糧にする。


理論があれば相乗的に能力は上がりますが、
こどものときのプロセスを見直すことも
面白い再発見が生まれます。