ドラムと再開するのは、
高校2年のとき。

高校は音楽教室に隣接して、
ミニスタジオがあった。

そこにドラムセットは置かれていた。

文化際が9月にあって、
出場資格を得るためにオーデションがあった。

7月の試験終了後
オーデションの審査は毎年あった。

音楽に興味が強かったので、
高校2年のときにサッカー部の友達や
知り合いを誘ってバンドを組んだ。

その時に「ドラム」を叩くということを
初めて体験した。

ドラムの各パートの器材の名称や、
どう叩くかという方法まで、
何もかも分からなかった。

バンドが好きでスタジオ練習の風景を見に来る
同学年の友達がいろいろ教えてくれた。

好きなことをすると勝手に興味をもっている人間が
集まるもんだなーと感じた。

何かに熱意を持って取り組むと
人はタダであれこれ教えてくれることを知った。

けれど、ギターのメンバーが集まらず
そのバンドはひと月あまりで解散した。

解散する少し前に、同じクラスのギタリストが
サポートで練習に入ってくれた。

自分のドラム演奏スキルも少し上がって、
アンサンブルのギターサウンドが入ると、
バンド全体音に厚みが出る。

そのとき、ドラムというは、
身体全体で感じとるすごく面白い楽器と感じた。

ギターやベースはエフェクターがいるし、
持ち運びが面倒なのが欠点だった。

お金があまりなく、サッカーに集中している
メンバー中心のバンドとっては不利な条件だった。

その後、別のバンドに誘われて
メンバーになった。

文化際に出たいという気持ちもあったので、
バンドの一員になった理由のひとつ。

エレクトーンをしていた経験から
「キーボード」になった。

オーデションには合格して
高校2年の9月の文化際で初めてバンドでステージに立つ経験をした。

その当時、小さいTシャツが流行で
演奏のときにそういう服を着てステージに立った。

メンバー紹介でなぜか「オシャレ×数回」というコールが
なって少しだけ盛り上がった。

そこから「オシャレな高尾さん」というネーミングが
一部の人たちで流行った。

今ではその経緯を知る人や
そう呼ぶ人は世界中を見渡しても
ほんの一握りである。

であるが・・・、
僕はそのニックネームらしい肩書きを時々使うようにしている。

(ドラムとの出会い)第2位部おわり。。